上司が精神的に追い詰められている時の部下としての接し方について。
いつも明るく、冗談ばかり言っているお調子者の上司。
でも、やるべきことはしっかりとこなしていくタイプ。
そんな上司のもとでの仕事は楽しく、僕を含めメンバーのモチベーションは、とても高かったことを思い出します。
しかし、そんな理想的とも言える職場環境に至るまでには、部下には見せない上司の相当な苦労があったことも僕らは知っていました。
売上や利益よりも、やりがいや楽しさを重視して、部下のメンバーが「やりたいこと」を実現する為に、会社の古い慣習を無視したり、部門長と意見がぶつかっても、案を押し通したり…
そして、そのような努力は一方で、会社の上層部の反感も買っていました。
利益至上主義の彼らは、僕らの上司を始め、メンバーのことを良くは思っていませんでした。
実施した企画がうまくいけば何も口出しはしませんでしたが、ちょっとでも落ち度があるとあからさまな非難をしてきました。
そんなプレッシャーもありながら、ある時、僕らは盛大な失敗をしてしまいました。
多くの予算や準備期間を費やして実施を予定していた企画の一部で法的リスクがある可能性がわかり、直前になって中止になってしまったのです。
もちろん、そこに掛けた経費や時間は帰ってきません。
会社にとってもかなりの損失を与える結果となってしまいました。
会社の役員室に呼ばれ戻ってきた上司は、いつも通り冗談を言いながら気にしない様子をみせてくれる…ということはなく、青ざめた顔をしてだいぶ落ちこんでいる様子でした。
その後、しばらくそんな状態が続いてしまいました。
その時、考えたことは「部下としてどうやって上司を接するべきか?」ということです。
当時は、様々なことを考えてしまいましたが、改めて振り返った時、よかったな。と思ったアクションについて、今回の記事ではまとめていきたいと思います。
精神的に追い詰められている上司に対する3つのアクション
いつも通り接する。
上司が追い詰められている時に、部下も同じように落ち込んでいてしまうはNGだと思います。
なぜなら、「部下をあんなに落ち込ませてしまったのは、俺のせいだ。」と、上司はさらに自分の失敗に対して罪悪感を持ってしまうと思うからです。
逆に、部下の方から何事もなかったかのように接することで、上司が感じるプレッシャーを軽減することができるのです。
ネガティブなことには触れない。
大きな失敗でメンタルが落ち込んでいる時には、連鎖のように良くないことが起きる傾向があります。
それは、メンタルが低下していることで、注意力や集中力が散漫になっていることも関係していると思っています。
当時、上司が一番落ち込んでしまっている時には、絶対普段ではしないようなケアレスミスが続いていたのを覚えています。
そのような、上司自身が要因で発生してしまうミスとは別に、普段仕事をしている中では、不可抗力で発生してしまうネガティブな事案というのも当然あります。
このような事案は、いきなり上司に解決を求めるのではなく、極力部下のメンバーで処理をすることを心がけました。
なぜなら、メンタルが弱っている上司に、急にネガティブなボールを投げることは、抜け出せない負の連鎖をより加速させてしまう要因にもなりえるからです。
どうでもいい提案をする。
上司に負の連鎖から抜け出してもらう為には、どうしてもポジティブな感情を上げていくことが必要だと思っていました。
しかし、だからといって、いきなり名誉挽回・起死回生の案件を持ってくるというのは、非常に困難でした。
そこで、僕らは働きかけたことは、「どうでもいい仕事」をみんなでやるということです。
- 目の前にあるオケージョンに全力で乗っかってみたり…
- 意味のないような仕事を全力でやってみたり…
そのようなことをしていると、ほんのわずかでも小さな反応があったり、漠然としていた行動に少しだけ具体的な目標が見えてきたりすることがあります。
そのようなものが見えた時、人は嫌なことを忘れて少しだけポジティブになれるのです。
そして、実はそれは上司が常々僕らに働きかけていたことでもありました。
シンプルに「教えられてきたことを実践してみた」というだけだったのですが、これは非常に効果を感じることができました。
まとめ
チームの構成員のメンタル状態というのは、全体に対しても影響を及ぼします。
それが、リーダーポジションである上司がメンタルを崩してしまえば、他のメンバーがいかに安定を保っていても、チームには甚大な影響を及ぼします。
今回ご紹介したケースにおいては、上司はその後無事メンタルを回復しましたが、僕らチームメンバーにとっても結構ギリギリの精神状態だったのを覚えています。
しかし、その時にやらなくてよかったと思うことは、「無理に上司を励ましてしまう」ということです。
人の精神状態というのは、他人に変えられるものではなく、自分自身によって変えるべきものだと思うからです。
だからこそ、あくまで他人である僕らは、自己回復の手助けをするということが、どんな場合においても大切なことなんだと感じます。