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30代ビジネスマンの備忘録。 マネジメントやマーケティングに関するビジネススキルや、サウナ、ウィスキー、時計などの趣味について。

年収が上がって気づいた「稼ぐ」ということの虚無観について。

年収が上がって気づいた「稼ぐ」ということの虚無観について。

「年収の上昇」

 

それは、僕が仕事をする上での非常に大きなモチベーションだった。

そして、今年の春からジョブアップをすることができ、年収の面においても数百万単位で、大きなステップアップをすることができた。

 

これによって、ようやく日々の生活にゆとりや安心が生まれると思っていた。

 

しかし、月々の手取りもあがった状態で3か月が経過して、心の状態を振り返ると、少なくとも自分が思い描いていたような日々の生活を送ることはできていない。

 

むしろ、ふいに訪れる虚無感のようなものすら感じるのである。

 

この正体は何なのか?いまの自分のお金との関係性を整理する必要があると感じ、ブログ記事を書いてみようと思った。

 

支出は増え続けているのに、生活の満足レベルは上がっていない

 

年収が上がったからと言って、大きな買い物をした訳ではない。

一方で、これまではとても意識していた小さな出費に対して、無意識になりつつある自分がいるような気がする。

 

例えば…

  • ちょっとした移動でも車を使ってしまう
  • コンビニでのちょい買いが止まらない
  • つい外食が増えてしまう

 

こんな具合なのである。

塵も積もれば山となるという言葉の通り、このような出費を合計していくと、十分に手取りの上昇分を圧迫する因子となる。

 

では、そのような無意識の出費が増えたことで、日々の生活の満足感があがっているか?というと答えは明らかにNoだ。

 

支出額と満足感がつりあっていないのだ。

 

ますますお金が必要だと感じてしまう

 

落とし穴はさらに続く、この「支出額と満足感がつりあっていない」状態のバランスを取ろうとするために、「もっと支出額をあげないといけない」というマインドになってしまうのだ。

 

  • 移動で使う車ももっと良いものに乗りたい
  • ちょっとしたものコンビニではなく、洒落た専門店のものがいい
  • 外食も普通の店ではなく、より評価が高いところが良い

 

このようなマインドになってしまうと、お金はいくらあっても足りなくなる。

 

そして、頑張ってお金を使っても、恐らく大した満足感は得られず、その欠落感からさらに大きなお金を使って大きな満足を得ようとしてしまう。

 

たぶん、僕はこのスパイラルの入口に差し掛かっていたのだと思う。

 

しかし、冷静に自分を客観視した時に、そこから何も得られるものはないと気付いたからこそ、お金を稼ぐことにこだわりすぎることに虚無感を感じたのだと思う。

 

まとめ

必要なことは、本当に必要だと思えるものを自ら探すことを怠り、お金にすべてを求めてしまうのをやめることだ。

 

自分で目的を定め、意識的な行動をすることに、そこまで多くのお金は必要ない。

 

お金は単なる支払いの手段であり、それそのものが幸せを運んでくれるものではない。

 

これから僕自身も、その手段と目的の違いを分けてお金と向き合っていかなければいけないと思う。