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30代ビジネスマンの備忘録。 マネジメントやマーケティングに関するビジネススキルや、サウナ、ウィスキー、時計などの趣味について。

記憶と記録。平凡な日常を記録して記憶に残したい。

記憶と記録。平凡な日常を記録して記憶に残したい。

 

人の記憶というのは、非常に不思議なものだ。

日々が目まぐるしく変化し、すべてが新鮮な10代20代であれば、いつ・どこで・何をしていたというのは、明確に記憶に刻まれている。

そして、それはいまでもありありと。その風景や音や匂いなどの感覚も含めて鮮明に思い出すことができる。

 

だが、逆に直近の数年の方が、何をしていたか思い出せないことが多い。

去年したことだと思ったら、もう3~5年前のことだったなんていうことはザラにある。その理由は、ライフスタイルが安定したことで、日々が似たことの繰り返しとなり、新鮮味を感じる出来事が少ないということが起因していると思う。

 

だからといって、若い時のように常に「新しさ」を求めることが正解なのだろうか?経験を積んでいしまった年齢を経てからの「新しさ」とは、それなりのリスクやコストを伴う。ある程度の「新鮮さ」というのは、そのリスクやコストを飲み込んだ上で、享受することも大切だと思う一方で、常にそれを摂取し続けることは、逆には健全ではないと思う。

 

では、どうすればよいのか。

個人的な答えは、無意識のうちに見逃している日常の中に新鮮さを見出すことだと思う。他の人が気にも留めないようなに日常の些細なアクションが、自分がこれまで経験したことのない場所に導いてくれるきっかけになるような気がしている。

 

例えば、僕自身の話だと昨年から始めた食事や運動の習慣がそれにあたると思う。もともとは、ダイエットからスタートしたのだが、1年間継続したことで、それらの習慣が体調や肌、思考にまで変化をもたらすようになった。

 

食事も運動も非常に地味で、記憶に鮮明に残るセンセーショナルな体験とは程遠い。だが、そのような性質だからこそ、このブログで定期的に記録を残していたことが役に立った。日々ではほぼ変化が生じなくても1か月、3か月、半年というロングスパンで過去の自分と比較すると、そこに大きな変化を実感できたからだ。

 

それはまさに、記憶に鮮明に残るセンセーショナルな体験であり、その経験から継続のモチベーションにもつながった。

 

つまり大切なことは、「年を経るごとに新しい経験を増やすことは難しい。」と悲観的になるのではなく、日々やることを決め、そこに対して自分なりの記録をすることで、僕らはいつだって新しい経験に出会うことができるということだ。