【家ついて行ってイイですか】TVをほとんど見なくなってしまった僕が唯一見ている地上波番組。
【家ついて行ってイイですか】TVをほとんど見なくなってしまった僕が唯一見ている地上波番組。
週間で1~2時間。
恐らく僕が地上波のリアルタイムでテレビ番組を見ている時間は、現在こんなもんです。
基本的にTVの主な役割は、オンデマンドかYouTubeの視聴用です。
数年前まで見ていたワイドショーやドラマはほとんど見なくなってしまいました。
短期的に必要な情報は、ネット経由でほぼ調達することができます。
しかし、唯一楽しみにしている番組があります。
それは、テレビ東京の「家ついて行ってイイですか」です。
ファンも多い番組ですよね。
今回の記事では、ほとんどTVを観なくなってしまった僕が、なぜ「家ついて行ってイイですか」だけは見続けるのか。について考えたことを記事にしたいと思います。
3つの共感。
泥臭い製作過程に共感できるから。
どの回も終電後の駅前で、「家ついて行ってイイですか」と道行く人に尋ねる場面から番組はスタートします。
ほとんどの人は、何かと理由をつけて断りますが、ごく一握りの人だけがオファーを受けてくれます。
時には、その一握りの人にたどり着くまでに100名以上にフられ、スタッフが明け方を迎えてしまうといった場面も映し出されます。
また、オファーを受けてくれた人の自宅に出向いたにも関わらず、家族に拒否されて撮影が続行不可能になるような場面もありますよね。
普通の番組であれば語られない、泥臭く生々しいメイキング的な「スタッフの製作における苦悩」をコンテンツのメインにおいている点に、サラリーマンの自分としては共感ポイントを多く感じます。
人の物語に共感できるから。
たまに結構な有名人も出演しますが、基本はごく一般的な人が番組の主役です。
もちろん、初めは「アンタ誰?」からスタートするのですが、どんな人でも現在に至るまでの物語を持っています。
決して壮大ではありませんが、同じものは二つとない唯一無二の個人の歴史に共感し、涙を流してしまう回もあります。
いつの間にか、普通のオジサンやオバサンが俳優や女優に見えてきてしまうのです。
作り物のフィクションよりも、普通の生活における街を行き交う人たちのバックグラウンドの方が、よりリアリティを持ったフィクションのように感じてしまう面白さがあります。
そして、改めて感じるのは人が求めているのは「物語」なのだということです。
手触り感ある日常に共感できるから。
壮絶な過去や、輝かしい経歴を持つ人たちでも、意外と生活は普通。
というギャップを感じます。
インスタグラムにアップされているようなモデルルームみたいな暮らしではなく、食べ残しのカップラーメンが流しにおいてあるようなリアリティのある日常に、逆に共感ができます。
このような取り繕わないカオスでリアルな日常の描写こそ、「モノは持つべきではない」とか「シンプルな生活をすべき」といった、ライフスタイルの押し付け的な現代のマーティング戦略のプレッシャーから僕らを解放してくれると思っています。
まとめ
この手の番組に求められるニーズを満たすコンテンツってもはやSNSやYouTubeに大きく移行していると感じます。(だからこそ、それらが支持を集めているのだと思いますが。)
しかし、TV番組という第3者目線かつ圧倒的マスを対象としたメディアが、名もない個人にフォーカスするという視点が、見せたい人が見せたいように特定のコミュニティや個人に発信するSNSやYouTubeとは異なる面白さなのかな?と思います。
これからも、この番組に期待して視聴をしてきたいと思います。