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30代ビジネスマンの備忘録。 マネジメントやマーケティングに関するビジネススキルや、サウナ、ウィスキー、時計などの趣味について。

【知的探求】余白を楽しむという行為

【知的探求】余白を楽しむという行為

 

ここ1~2カ月は、映画や美術に触れる機会を意図して増やしている。

 

その中で、自分なりの楽しさを感じる部分というのが、少しずつわかってきた気がする。

 

それは、余白を楽しむという行為だ。

 

映画にしろ、美術にしろ、すべてが懇切丁寧に説明され尽くされた作品というのは、その場ですべて消化しきってしまい、一過性の満足感で終わってしまう。

 

しかし、あえて説明が省かれて、鑑賞者に対してそれぞれの解釈を訴えてくれる作品というのは、鑑賞した後も、「考える」ということを迫ってくる。

 

このような作品から与えられた「余白」について考える知的探求の時間というのが、非常に楽しく思えるようになった。

 

しかし、この余白に対しては、バランスというのも難しいものである。

というのは、余白はありすぎても考えることが追い付かないし、なさすぎてもつまらないという特性があるからだ。

 

自分の知識や経験に対しては、どこが余白になるかは人によって違うと思う。

ただ、一つ言えることは、知識や経験が増えれば増えるほど、余白の知的探求の体力は向上するということだ。

 

つまり、以前は余白が広すぎて考えが及ばなかったことでも、知識量が増えたことで、自分なりに考えることができるはずだ。

 

このようなサイクルの繰り返しが、人の教養を高めてくれると思うし、教養を高めることこそ、人生の最大の楽しみの一つだろう。