「飽きてしまうもの」と「続けられるもの」
「人は「刺激的なもの」にはすぐ飽きて慣れてしまう。でも、「学びで新しい知識を得る」ことの喜びは飽きることなく続けることができる。」
これは、『アフターデジタル』や『プロセスエコノミー』の著者である尾原和啓氏の言葉だ。
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僕も確かにそうだと思う。
というか、年を重ねる度に、そのことの納得感が高まっているように感じる。
僕もついつい刺激的なものを求めがちな部分もある。
ラーメン二郎のようなカロリーコテコテの大盛ラーメンが大好きだし、リッツカールトンのような高級ホテルへの憧れもある、自宅にサウナがあったらいいとも思う。
でも、そのような生活を毎日続けたいか?と言われると、それは違うように思う。
数日にして、飽きを感じてしまい、別の刺激を求めてしまうだろう。
そういった刺激は、実際にはたまにあれば十分だし、過剰な質も量もいらない。
だが、「学び」は違う。
仕事でも、日常生活でも、「新しい知識を得る」ことは、際限なく続けることができる。
また、学びによる知識の習得というのは、一般的な座学ももちろんだが、経験を伴う学びも含まれると思う。
僕の場合は、その二つの掛け合わせが最も贅沢な趣味だとも感じる。
例えば、座学で歴史を学び、知識を持って旅行で現地を訪れることで、体験を持ってその知識を深める。といったことだ。
このようなリベラルアーツ(教養)を深めるということが、人生を豊かに、そして生きやすくしてくれるのだと感じる。