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30代ビジネスマンの備忘録。 マネジメントやマーケティングに関するビジネススキルや、サウナ、ウィスキー、時計などの趣味について。

【ブレイクスルー】インド流の成功マインドセットがすごい?

 

インドと聞いて何を思い浮かべますか?

 

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「カレー?ガンジーガンジス川?」

 

実はインドという国は、ビリオネア(資産10億USドル以上)の人数が、中国、アメリカに次ぎ第3位の億万長者を生み出している国なんです。

 

 

2018年1月にNew World Wealthが発表したランキングでは、政府資金を除く2017年のインドの総資産は8.2兆USドル(前年比25%増)。世界で6番目に経済的に豊かな国に選ばれている。資産の成長率は先進国・新興国中最も高く、2007〜2017年の10年間では160%増という驚異的な成長率を記録。こうした急成長は富裕層の増加に起因するもので、ミリオネア(資産100万USドル以上)は33万人を上回っている。

(The Economic Times2018年1月30日付記事)。

 

 

では、インドがここまで急成長し、多くのビリオネアを輩出している理由はどこにあるのでしょうか。

『大富豪インド人のビリオネア思考』から、その理由を紐解いていきたいと思います。

大富豪インド人のビリオネア思考

大富豪インド人のビリオネア思考

 

インド人の土壌が生む「第三の価値観」。

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「第一の価値観」とは、西洋文化に代表される、個人主義や合理主義を重視する「個」の価値観。

 

「第二の価値観」とは、東洋文化に代表される、全体主義や共同体を重視する「集団」の価値観。

 

そして、「第三の価値観」とは、西洋と東洋のちょうど中間に位置するインドならではの両方がブレンドされた価値観。

 

つまり、「個」と「集団」両方をバランスよく重んじる価値観ということです。

国内に300を超える民族が混在しており、宗教も言語も違う中では、個の主張がなければコミュニケーションが成り立たないという背景がある一方、東洋の仏教発祥の地でもあるインドは相手をおもんぱかる精神も持ち合わせているのです。

 

このバランス感のある価値観こそ、グローバル化するビジネスの世界において、大きなアドバンテージとなっていることは間違いありません。

 

インドの成功者が意識している3つのマインド。

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インド国内の状況としては、戦後の日本のように国民全員が決して豊かなわけではなく、いつもなにかが枯渇している状態です。しかしその制限された環境の中で「何かを生み出さなくて」は、というハングリー精神を結集したマインドが以下の3つです。

 

  1. 「少ない力で大きな利益を追求。」(リソースの枯渇)
  2. 「常識の枠を超える。」(マジョリティからの逸脱)
  3. 「シンプルに考える。」(一点突破)

 

「集団性」の強い日本人が教訓にできること。

 

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・少ない力で大きな利益を追求するために…「あえて制限する。」

何か新しいことをするときに、いまの僕らには無限にリソースが存在します。

むしろ、リソースがありすぎるゆえに、使用するリソースを選択することに莫大な時間を使ってしまい、結果的にほとんど利益がでなかったということは多いです。

そこからの教訓は、あえて制限をし創造力を働かせることによって何が生み出せるのかを考えることだと思います。

 

・常識の枠を超えるために…「あきらめない粘り強さを持つ。」

日本における常識の壁は異常に高いです。だからこそ、常識を覆すような提案や意見に対しては、強烈な反対意見が出ます。しかし、そこにたいしてあきらめない粘りの精神が、唯一の成功への道だと思います。

 

・シンプルに考えるために…「ほんの少しのずうずうしさを持つ。」

忖度という言葉が一時期流行しましたが、その通りで僕らはシンプルな自分の信念を持っているはずなのに、ついつい相手にも配慮した言葉を使ったり、よけいな言葉を足したりしてチャンスを逃してしまうことがあります。

そこからの教訓は、ほんの少しのずうずうしさを持って信念を貫くということだと思います。

 

まとめ

・インド人のマインドセットとは、効率性と特異性に重き、それをシンプルに洗練すること。

・そこには、集団性の強い日本人に足りていない要素が多く含まれること。

・反省すべき点は、豊富なリソースを持て余していること、常識に捉われすぎていること、気を遣過ぎて凡庸になること。