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30代ビジネスマンの備忘録。 マネジメントやマーケティングに関するビジネススキルや、サウナ、ウィスキー、時計などの趣味について。

なぜ退職や離婚の報告がSNS上で共感を得るのか?についての考察。

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なぜ退職や離婚の報告がSNS上で共感を得るのか?についての考察。

 

「退職しました」、「離婚しました」…

 

SNSを見ていると、こんな投稿の内容が多くの共感を得ているのがとても目立つように思います。

 

それも特徴的なのは、決して有名人ではなく、ごく一般の人の投稿が突如としてバズっているというケースが多いことです。

 

そして、「退職」や「離婚」という一見するとネガティブなワードが、非常にポジティブに受け入れられているということも興味深く感じています。

 

その背景にはどんな社会的背景や人の心理背景があるのかを、僕なりに考えてみたいと思いました。

 

なぜ、共感を呼ぶのか?

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変わりたいと思っているけど決断が出来ていないというのが多くの人の心理だと感じます。

 

つまり、「他に人の決断に自分の願望を乗せている」パターンです。

 

決断が大きくなればなるほど、そこにはリスクが生じます。

 

  • 年収が下がってしまう
  • 肩書がなくなってしまう
  • 社会的信用がなくなってしまう

 

これらのリスクを許容して、なお「やりたいこと」を見つけられている人は、非常に少ないように感じます。

 

一方、そこまでのリスク許容はできないけど、そのような決断の勇気や生き方に励まされるような気持ちを持つ人が、自分の願望を乗せて共感しているのだと感じます。

 

そして、それだけ多くの人が「何かに我慢して生きている」ということも言えます。

 

何に我慢しているのか?

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ここ数年の社会変化は非常に激しく、さらに追い打ちを買えるように今年はコロナウィルスの影響があり、ライフスタイルや働き方も大きく変化しました。

 

その影響で、心理的にも経済的にも大きなダメージを受けた人がいる一方で、場所や時間など様々な制約を受けない自由を手に入れた人もいます。

 

その変化によってもたらされているものは、これまで「常識」や「当たり前のこと」だと思っていたことが、ある人にとっては「必要ないこと」になり、ある人にとっては「我慢してやらなくてはいけないこと」になってしまったことだと思います。

 

これまで満員電車に乗って通勤することは当たり前のことでしたが、現在ではそこから「解放された人」といまだに「強いられている人」と二極化しています。

 

この二極化が、「我慢している」感情をもたらしているのではないかと思います。

 

この現象から考えられること。

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これまでは杓子定規的に、こんなことが社会的に「是」とされてきました。

 

  • 有名大学に進学
  • 大企業に入社
  • 家庭を築く

 

しかし、現在はこれらの条件を何一つ満たしてなくても、十分幸せな人生を送っている人も多く存在します。

 

そこで必要なのは社会が規定する「あるべき姿」ではなく、一人ひとりが持つ「人生における意味」ではないかと感じています。

 

自分にとって「意味あること」とは何か?

という問いに答えることが、充実した人生につながるのだと思います。

 

そして、「退職」や「離婚」というのも、その問いに答えるための一つの決断だと捉えると、多くの人の共感を呼ぶ理由が理解できると感じました。