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30代ビジネスマンの備忘録。 マネジメントやマーケティングに関するビジネススキルや、サウナ、ウィスキー、時計などの趣味について。

【自動車】自損事故の修理費用で給料1か月分を失って得た教訓。

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【自動車】自損事故の修理費用で給料1か月分を失って得た教訓。

 

「一瞬の気の緩み」

昨年初のマイカーを購入して1年。それまでは10年間ペーパードライバーでした。

初めはぎこちなかった運転も、かなりスムーズになりました。

 

「運転は慣れてきた時こそ気をつけなければいけない」。

昔、自動車教習所でそんなことを教えられたことを覚えています。

 

しかし、それがまさか自分に当てはまるとは思ってもいませんでした。

 

悲劇が起こったのは、ちょっと遠出のドライブで立ち寄った「狭く入り組んだ駐車場」での出来事でした。

                                                                                            

駐車は問題なかったのですが出庫の際に、自分の左手前にあった柱に対して、明らかに切り返しの必要があったにも関わらず、なぜか、そのままいけるだろうとハンドルを切ってしまいました。

 

その瞬間、左後方から背筋が凍るような「ぎぃぃぃぃ」という鈍い音が響いてきました。

 

やってしまった…と思いました。

それは、ほんの数秒の気の緩みでした。

 

車から降りて車両を見ると、左リアからバンパーにかけて、恐竜に爪を立てられたような大きな擦り傷がついていました。

 

その後すぐに、普段から馴染みの自動車屋に連絡を入れました。

修理の見積もりを出してもらうと、僕の給料1カ月分くらいの金額に目が飛び出そうになりました。

 

一度、考える時間をもらい、自分の中で気持ちの整理をしました。

その時、感じたことを忘れない為に、このブログ記事でも残しておきたいと思い、今PCに向かっています。

 

お金の儚さと大切さ

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一瞬の判断ミスで、1か月分の自分の労働と同じ対価が支払わなければならないという事実が受け入れられないでいました。

 

また、僕はちょうど1年前から投資信託を始めていて、毎日コツコツと少額投資を続けていました。偶然にも、修理額と利益も含めた評価額が一致していました。

 

そこでも、1年間続けた努力が一瞬で奪われた。という感覚を持ってしまいました。

 

お金を増やすということは難しいのに、出ていく時は本当に一瞬なのだな…

という儚さを感じました。

 

一方で、いつどんなお金が必要になるか予測できない中で、自分でコントロールできる日頃のお金の使い方に関しては、もっと意識をしなくてはいけないと改めて思ったのでした。

 

車に乗るという責任。

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今回の事故における唯一の救いは、人を巻き込まなかったことです。

 

人を巻き込んでしまったら、負わなくてはいけない責任や金額も比になりません。

 

自損事故だけで、これほどの精神的ダメージがあるのであれば、人身事故のそれは計り知れないと感じました。

 

もはや、生活において車は手放せない便利かつ楽しいものですが、あくまでそれは引き換えに発生する責任やリスクと常にトレードオフであることを忘れてはいけないと思います。

直すなら徹底的に直す。

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修理については、自分で対応したり安い業者に任せて費用を抑えることもできました。

しかし、それだとやはり傷跡がかなり目立つ状態になってしまうということもありました。

 

これは僕が至った結論ですが、中途半端な修理で傷跡が残ってしまうことで、自分の車を見るたびに事故のトラウマが蘇ってしまうような気がしたのです。

 

この事故によって得た教訓はしっかり自分の中に留めつつも、ネガティブな気持ちとは決別する為には、傷跡を残さない徹底的な修理が必要だと思いました。

 

その為、最終的な費用は発生しましたが、修理後の仕上がりには非常に満足しています。

 

まとめ

事故を起こすというのは、自分の中で様々な感情が堂々巡りをします。

それは、会社における仕事上のトラブルや、家庭における問題でも同じだと思います。

 

しかし、その中で大切なことは、そこから今後に向けて何を学ぶか?そして、対応として自分にとって一番大切なものは何か?という考えを持つことだと思います。

 

そうすることで、事故の瞬間は死ぬほど落ち込んだとしても、後から振り返るとそれも必要な経験だったと思える日がくるのではないでしょうか?