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30代ビジネスマンの備忘録。 マネジメントやマーケティングに関するビジネススキルや、サウナ、ウィスキー、時計などの趣味について。

突如として訪れる「虚無感」の正体について考えた。

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突如として訪れる「虚無感」の正体について考えた。

 

「何に対しても感情も意欲も湧かない」

 

僕には、ある周期でこの正体不明の虚無感が突如として訪れる。

 

やる気が吸い取られてしまったような状態になって、どんな好きなものでも全く魅力的に見えなくなる。そして、目に映る景色からは色がなくなり、灰色になったような感覚に陥る。

 

このような虚無感は、定期的に訪れる。

数日間続くこともあれば、1日の限られた時間だけの時もある。

そして、その時間が終わると、徐々にいつもの自分が戻ってくる。

 

今回の記事では、自分が虚無状態に陥ってしまう周期やそのタイミングについて振り返るとともに、その状態とどう向き合っていけばよいのかについて考えてみたいと思う。

 

虚無状態に陥ってしまう周期やそのタイミング

新しいことが続いたとき

これまで経験したことがない新しいことや、やってみたかったことを少しずつ経験していくことは、精神衛生上、大切なことだと思っている。

 

しかし、このようなフレッシュなことがまとめて自分の身に降りかかってきたり、立て続けに起こってしまうと、精神的にはかなり参ってしまう。

 

中高生の時には、毎年のように新級や新入学のタイミングでこのような経験をしていたにも関わらず、人というのは年齢を重ねるほどに、変化への耐性が弱まるのだと実感している。

 

単調なことが続いているとき

変化が多すぎるのが苦しいと言ったものの、逆に安定しすぎることも僕にとっては、苦痛を伴う。自分でも、僕はなんてわがままな生き物なのだと思ってしまう。

 

過去に同じ職場で、同じメンバー、全く同じ仕事を5年間していたことがあったが、その単調さに気が狂いそうになり、日々虚無感を感じていた。今思うと、よくその環境に耐え続けることができたと思う。

 

大きな成功もしくは、大きな挫折を感じたとき

サラリーマンとしては、昇進や左遷を経験してきた。

どうやら僕にとっては、大きな変化に対する感情を受け入れるのがキャパシティというのが、非常に小さいのではないかと思う。

 

昇進の際は、その喜びを受け入れ切れず、燃え尽き症候群のようになってしまった。

左遷人事を命じられた時も、今後のキャリア展望を全く描ききれず、しばらくの間ふさぎ込んでしまった。

 

虚無状態とどう向き合うべきか。

 

「虚無状態」=悪、自分にとって克服すべき課題

 

これまでは、そんな風に考えていた。

だから、虚無感に陥っている時間は全くのムダであり、その時間を無くすことで、より効率的に物事を進めることができると思っていた。

 

しかしもう一度、言語化して自分について振り返って気づいたことがある。

それは、虚無感というのは、自分にとってのセーフティネットになっている。という側面である。確かに、虚無状態に陥ってしまうことで、一時的な効率をさげてしまっていることは間違いない。

 

だが、この虚無状態を挟むことで、ポキッと完全に心を折れてしまうことを防いでくれていると言える。だからこそ、一度虚無状態を経験した物事は、途中でストップしてしまったとしても再起、継続できていると感じる。

 

何かに取り組む中で、虚無状態がきたら、自分の中から追い出そうとするのではなく、それが「純粋ないまの自分の状態」なのだと受け入れることが、必要なのかもしれない。

 

まとめ

今後、自分にとっての理想は、「虚無状態に備える」ということだと思う。

 

これからの自分に起こり得るチャレンジやリスクを出来る限り予期し、様々な意味で負荷がかかるタイミングで、あらかじめ虚無状態に陥る為の時間を確保しておくこと。

 

それが、「虚無感」との僕なりの正しい向き方だと思う。