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30代ビジネスマンの備忘録。 マネジメントやマーケティングに関するビジネススキルや、サウナ、ウィスキー、時計などの趣味について。

会社の肩書きに頼らない人間関係構築の難しさについて

会社の肩書きに頼らない人間関係構築の難しさについて

 

気付けば社会人になってからの自分を取り巻く、人間関係というのは、ほぼ会社に頼ったものが中心だったと感じる。

 

  • 会社の先輩・後輩・同僚
  • 会社の取引先

 

社内の人々の関係性においては、社内での肩書や役職が活きてくるので、少しずつ関係性構築は楽になってくる。

 

また、社外においても、立場上、僕の会社がお客さまになる為、当然、それなりの気遣いをしてくれる。

 

特に、僕が勤めているのは大企業なので、この会社を媒介とした人間関係だけで、相当数の人間が存在する。つまり、公私ともに関わる人間がそのコミュニティの範囲内ですべて完結してしまうということが大いに起こり得る。それでも、僕のような元々コミュ障の人間にとっては、とても心地よい環境システムだと感じている。

 

ただし、あまりにもこの環境に依存してしまうことのリスクもしっかりと考えなくてはいけない。

 

つい最近、そんなことを感じる出来事もあった。

それは、仕事とは全く関係ない、ある趣味のコミュニティの活動にする機会があった時のことだ。

 

その趣味自体は、僕もとても好きなものであったが、他の参加者はさらにディープなメンバーが多く、僕は一歩引いてしまったのだ。

 

そのコミュニティにおいては、有識者でもなく新参者でしかない僕は、自分からそこに受け入れられるための努力をする必要があった。しかし、いつも会社関連のコミュニティにおいては、一定の気遣いをされていたというプライドが邪魔をして、「待ち」の姿勢になってしまった。

 

結局、そのような姿勢では、誰ともまともに会話をすることなく、大好きな趣味の集まりだったのに、最悪な気分でその場を後にした。

 

そのことで、いかに自分が会社という存在に依存していたかを実感し、そのありがたみと感じるとともに、その看板を外した時点で「自分は何ものでもない」ということも改めて感じた。

 

これから「何者かにならなくてはいけない」という訳ではない。むしろ、それは誰にとってもあてはまることなのだから、大切なのは、それを認知し受け入れること。それに謙虚になること。そんなことが大切なのだと思う。