【山口周】『ビジネスの未来』から学ぶ脱資本主義の仕事観。
独自の理論で現代社会を切る山口周氏。
僕個人にとっても、最も影響力を持っている日本人ビジネス著作家の一人です。
これまでの著作の『ニュータイプの時代』などでも、「働き方」の面で大きな衝撃を受けてきました。
そして、今回の記事でご紹介する山口氏が2020年末に出版した『ビジネスの未来~エコノミーにヒューマニティを取り戻す~』では、現代の資本主義社会を「生きる」ことに対する価値観までも考え直すきっかけとなる1冊です。
山口周氏の現代資本主義に対する解釈
この著作の中でも、特にインパクトがあると感じた山口氏の主張は、以下のようなものです。
「過去200年間資本主義ビジネスが挑んできた『経済とテクノロジーの力によって物質的貧困を社会からなくす』という目標は既に達成されている」
その根拠として、過去200年の世界の経済成長によってもたらされた便益について以下のような事実があります。
- 人類の寿命は約2倍に伸びている。
- 全世界のGDPは数十倍に伸びている。
- 世界価値調査の幸福度は約2倍に伸びている。
しかし、このような事実に対して違和感を覚えるのは、僕だけはないはずです。
日本経済においてはバブル崩壊後、常にのようなことが常に語られていました。
- 失われた〇〇年
- 不景気
- 低成長
なぜ、このような矛盾が生まれてしまうのでしょうか?
それに対し、社会全体の現状に対する視野が極めて狭くなってしまっていることを山口氏は指摘しています。
それは、経済活動を「高成長」と「低成長」の二元論でしか捉えられなくなってしまっているということです。もちろん、どちらが良いか?と問われれば、「高成長」が良いと思うのは当然です。
特に高度経済成長期を経験した我々日本人は、異常なまでの成長に慣れてしまい、成熟した社会における成長の鈍化に対して、ネガティブな印象しか持てなくなってしまっているのです。
ですが、成熟=低成長、未熟=高成長という裏返しです。
つまり、成熟した社会において過去の高成長を追い求めること自体に矛盾があると言えます。
そして、そのような社会では「どんな社会をつくりたいか?」という構想なしに、「成長率」というワードだけが独り歩きしてしまっていることこそ最大の問題と言えます。
これから僕らはどこに向かうのか?
資本主義の目標が達成された現在、僕らはどこに向かうべきなのでしょうか?
山口氏は、そのポイントとして「終焉の受容」という言葉を上げています。
物事の転機とは、何かが始まる時期ではなく、何かが終わる時。
このような捉え方が重要になります。
山口氏の言葉を引用します。
「これまで私たちが連綿とやってきた「市場の需要を探査し、それが経済合理性に見合うものかどうかを吟味し、コストの範囲内でやれることをやって利益を出す」という営みはすでにゲームとして終了しています。これからは、アーティストが、自らの衝動に基づいてビジネスに携わり、社会という作品の彫刻に集合的に関わるアーティストとして生きることが、求められています。」
つまり、過去の物質な豊かさを求める経済活動に終止符を打ち、将来は文化的な豊かさを求める姿勢が重要になってくるという考えです。
僕らはどう生きるべきなのか?
山口氏の「文化的な豊かさ」を端的に解釈すると、「行為そのものが報酬になる」状態を示していると解釈できます。
それは既にいたるところで起きていることでもあります。
過去において労働だと定義されてきた畑仕事や狩猟といったものが、現代はガーデニングやハンティングといった趣味や娯楽として成立していること。
そして、逆に過去の貴族が余暇の娯楽としていた研究や創作といったことが、現代のR&Dやマーケティングといった仕事に昇華されている事象もあります。
このように、「労働」と「遊び」の境目はどんどんなくなってきています。
つまり、自分の気持ちに素直で、夢中になれるものに仕事として取組み、仕事そのものから得られる悦楽や面白さが報酬として回収される生き方こそが、僕らが真に豊かさを感じることの出来る生き方だと言えます。
まとめ
最後に一つだけ、どうやって夢中になれるものを見つければ良いのか?
という疑問が残ります。
しかし、山口氏のその疑問に対する答えは極めてシンプルでした。
「とにかく、なんでもやってみる」
というのが答えです。
これからの社会を生きていく上では、自分の興味・関心の幅を広げれば、その分多くのことを得られる、そして新しい自分に出会える社会だと感じます。
資本主義一辺倒の考え方に染まることなく、自分なりの生き方を模索することについて考えさせられた一冊でした。