部下に懇切丁寧に教えてしまうことで生じた弊害について。
「自分でやった方が圧倒的に早い」
マメジメントの仕事をしていると、こんな思いに駆られることがあります。
しかし、自分が行う仕事なばかりが積み重なっていくと、結果的にそれは自分の首を絞めることにもつながります。
特に部下にとって不慣れな仕事を任せる時、どう対応してよいのか?を悶々と悩んでいる時期がありました。
その時、僕が出した結論は、以下のようなプロセスです。
- まずは懇切丁寧に教える。
- 部下に理解をさせた上で、仕事を託す。
自分では、合理的だと思って行っていたのですが、これは大きな失敗だったということに後になって気づかされました。
今回の記事では、そこで生じた弊害とどうすればよかったのかについて考察したいと思います。
発生した3つの弊害
1.自分で考えなくなる
仕事を託す時に、懇切丁寧に教えた部下たちは、僕のことを「先生」だと勘違いしてしまうという現象が起きました。
何かわからないことがあると、すぐに僕のもとに聞きに来るのです。
元々は、部下の自立を促す為に時間を取って丁寧に教えたはずが、丁寧に教えたことによって依存体質が身についてしまうという逆転した結果になってしまったのです。
2.責任感がなくなる
僕が部下に教え、部下に託した仕事の過程では、いくつかのミスが生じました。
しかし、部下たちはあまりそのミスに対してどこかよそよそしく、
「マネージャーからは、このミスの原因に対するその説明は聞いていなかった。」
という発言すらありました。
この発言から、仕事のノウハウについて頑張って教えるということと、当事者意識を植え付けるということは全く別問題であることに気づかされました。
3.スキルやノウハウが波及しない
当初の目論見では、僕がしっかりと教育をすることで、そのスキルやノウハウが全体に波及していくだろうという淡い期待をしていました。
しかし、実際のところ僕がいくら時間を割いて教えたところで、部下の理解は中途半端でそれを他の人に教えらえれるレベルはマインドには全く至っていませんでした。
むしろ、教えから時間が経つにつれて、どんどん部下たちの記憶からその知識が薄れて行っている印象すらありました。
当事者意識をもってもらう為に、どうすべきだったか?
僕のやり方には、以下の2つのことが欠けていたと感じています。
- 知識が不足していても実地でやらせること
- 責任を与えること
ある程度の経験や知識を身に付けるには、やはりそれ相応の時間が必要です。
地道で遠回りでも、責任を与えられ、失敗やミスを繰り返しながら、こなしていく仕事の方が、圧倒的に本人の血肉となり、当事者意識も芽生えることに気づいたのです。
「自分が懇切丁寧に教える」ということも、実際は自分が楽をしたい気持ちが隠れていたのだと思います。
マネージャーとして、「部下に結果を早く求めすぎない」という気持ちの持つことの大切さを感じさせられました。