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30代ビジネスマンの備忘録。 マネジメントやマーケティングに関するビジネススキルや、サウナ、ウィスキー、時計などの趣味について。

【ルール順守と誤った正義】ルールの中だけしか生きられない人になってはいけないと思った話。

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ルールの中だけしか生きられない人になってはいけないと思った話。

 

「こんな人にはなってはいけない」

 

いくつかの場所や経験から僕がそう思っている人々について触れてみたい。

 

それは、「ルールの中だけしか生きられない人」だ。

 

世の中には、必ずルールというものが存在する。

ルールというのは、人間が平等性を持って快適に社会生活を送る中で絶対的に必要なものだと思う。

 

ただ、その快適性の一方で危険性もはらんでいる。

 

それは、ルールの順守が行き過ぎると、そこから外れた人間に対する攻撃が正当化されるという側面がある。

 

例えば、直近だとコロナ禍において「マスク着用」をルール化している商業施設なども多い。

 

その状況の中で、たまに「未着用」の人がいたりする。

 

その人が、意図しているのか?無意識なのか?は定かではない。

だが、ルールを順守してマスクを着用している人々の未着用者に対する、視線や態度を見たことがあるだろうか?

 

蔑むような視線を与えたり、病原菌から身を避けるように動きをしたり、中には暴言を投げかける人さえいる。

 

そのような行動をとってしまう人々の心理として、「ルールを守ることができている自分」に対して過剰な正当化をしてしまっているという状況があるのだと思う。

 

さらに厄介なことは、「決められたルールを守っているか、守れていないか」だけの判断基準でしか物事を捉えることができていないから、「なぜ、守ることができていないのか?」まで考えが及ばないという点である。

 

マスク未着用の人がいたとして少々極端かもしれないが、同じマスク未着用と一言でいっても、様々なパターンが考えられるわけである。

 

  • ポリシーとして着用しておらず、咳やくしゃみも周囲におかまいなくする人
  • 着用の意思はあるが、自分がマスクを着用していないことに全く気付いていない人。
  • マスクを忘れてしまったことを認識していて、適宜ハンカチなどを口に当ててる人。

 

多くのケースは、相手の事情を理解することで解決する。(もちろん、そうでない場合もあるが…)それにも関わらず、「ルール順守主義者」それぞれの人の理由を無視して、いきなり正義の刃を向けてしまうのである。

 

僕が出会ったルール順守主義者たち

 

そのようなことは、マスクの事例以外にも山ほどある。

 

通勤時間の駅のエスカレーターにて

関東では、駅や商業施設においてエスカレーターの右側を空けるというルールが存在する。特に通勤時間などは、エスカレーターの右側で立ち止まろうものなら、平気で後ろからどつかれたり舌打ちをされたりする。

 

どんな怖い人が後ろに立っているのかと思うと、普段は温厚そうなオジサンだったり、若いOLだったりするから世の中はわからない。

 

高速道路の追い越し車線にて

高速道路において追い越し車線を空けるルール。これはルールというより法律でも定められていることだが、それさえも「追い越し車線は早い車に譲るもの」というはき違えたルールで認識しているドライバーが非常に多いと感じる。

 

追い越し車線を走行中、たまたま走行車線側が詰まっているにも関わらず、はやく前に進めと言わんばかりに、法定速度をまるで無視の勢いで煽ってくる外車やスポーツカーに何度も出会ったことがある。

 

自分の勤める会社にて

会社といえば「暗黙のルール」の宝庫だ。

例えば、シフト制なのに休みを入れてはいけない日がある。僕の小売業という仕事柄、商売に繁閑が存在する。もちろん、長期の休みは閑散期を狙って取得する。

 

しかし、それ以外の時期もかなり気を使って休みを取得する必要がある。

 

具体的には、

・〇曜日は、〇〇部長主催の会議があるから休んではいけない。

・毎月〇〇曜日は、定例の施策があるから休んではいけない。

など、暗黙の了解が存在する。

 

そのような特定日に会社を休もうものなら、すぐに上司から電話がかかってくると言った始末だ。しかし、それはあくまで上司の部長に対する忖度でしかない。

また、上司自身がそのような「暗黙の了解」を知っているということでしか、自分の尊厳を示すことができなくなっているという会社として悲しい側面も感じた。

 

ただ、これは本質的には間違っていると思っている。

なぜなら、人員をバランスよく配置する為のシフト制なのに、ある特定日に出勤を集中させてしまうことによって、そのバランスを崩してしまっているからだ。

 

なので、僕は自分の部下には絶対にそのような忖度の為のだけの出勤をさせないように意識している。

 

まとめ

特にこのような現象は、場の構成員が固定化されるほど、より進行しやすいように感じる。

 

特定の国や地域、会社、施設など単位の大小は様々だが、その場における人的流動性が低ければ低い程、ルールは強く細かくものになっていき最終的には「暗黙の了解」といったレベルまで昇華していくように思う。

 

だからこそ、人の行き来が少ない田舎ほど、近所との人間関係が複雑で難しかったり、新卒一括採用中心で中途採用はほとんどない大企業ほど、昔から謎のルールが根付いてしまっていたりする。

 

あと、人は誰しも、自分を人より優れているように見せたいというマウンティングの心理を持っているものである。

 

ただ、狭い世界の中で自分にとって都合の良いルールだけを振りかざすことは、逆に自らで自分自身の弱さや自信の無さを表出させてしまっている行為だとも言える。

 

自分自身も、どこかの場において、年長者やリーダー、ベテランとなった時こそ、

 

・自分の視野は狭くなっていないだろうか?

・自分は間違った正義を振りかざしていないだろうか?

 

ということを問いかける必要がある思う。