対極の情報に惑わされた時の自分なりの判断方法について
どちらをとっても代えがたい対極的な選択
このような選択は、仕事や生活のあらゆる場面で発生する。
最近、僕がかなり意識をしている食生活においても、同様の問題に直面している。
それは、以下のような選択だ。
A:長生きする為には、動物性たんぱく質をできるだけ摂取しないほうがよい。
B:筋肉をつける為には、動物性たんぱく質をできるだけ摂取したほうがよい。
しかも、様々な本を読む中で、両者はどちらも正しいエビデンスに基づいていることもわかっている。
全く、世の中というのはうまくいかないものだ。
振り返ると過去にも、似たような場面には幾度となく出くわしてきた。
- 文系か理系か?
- 大企業か中小ベンチャー企業か?
- 分譲マンションか賃貸マンションか?
このような選択の中で、いつも大切なのは、「自分はどう生きたいのか?」という長期的な視点である。
この視点を持って、先ほどのたんぱく質摂取の問題について長期的な想像をしてみたい。
- たんぱく質量を減らし活力がないまま長生きしている姿
- たんぱく質量を増やしムキムキになるが短命に終わる姿
正直、僕にとってはどちらも望まない未来だと思った。
そして結論としては、「適切な量」を摂取するという当たり前のものに達した。
対極的な情報が目の前の現れた時、人はどちらかを選択しなければならないという強迫観念にかられがちだが、選択の余地というのは、その中間やもしくは範囲外にもある。
多くの人の着地点は、案外そんなところにあるのかもしれない。