自分の「苦手」とどこまで向き合うべきなのか?
5段階評価でいつも「2」。
僕の中高生時代の音楽の成績です。
音感やリズム感が全くなく、楽器も弾けなければ、歌を歌うことも、一切できませんでした。
同級生と比較して、同じくらいの練習時間があったとしても、その習熟度は非常に低く、自分の音楽センスのなさに嫌気がさしていました。
そんなことで、ずっと音楽という分野からは逃げてしまっていた僕ですが、社会人になり試練にぶつかります。
それは、カラオケに行かなければいけないという状況です。
毅然とした態度で断わり続けるという選択もあります。
しかし、同調圧力の強い僕の職場では、その選択すること自体に大きなプレッシャーがあり、カラオケに行くこともキツいが、行かないことで感じる疎外感もキツい。
どっちもどっち。という状況でした。
何より当時は、そのような社内のコミュニケーションが社内の評価や昇進にも多少関わってくるという意味不明な暗黙の了解もありました。
結果、僕が選んだのは「カラオケは行くが、歌わない」という選択でした。
非常に中途半端かつ軟弱な選択ですよね…
でも、当然ですが部屋の隅でハズレたリズムでタンバリンを叩いている滑稽な様子に周囲もすぐに気づきます。
先輩「お前、歌わないのかよ!」
僕「あっ、今日はのどの調子が…」
とその時はごまかしましたが、何度も通用するものではありません。
いよいよマズいと思った僕は、真剣に歌うことと向き合うことを決めたのです。
最低限クリアすべきことは何か考える。
「マイクが自分に回ってきた時に、歌える1曲を持つ。」
これが自分にとって最低限クリアすべき課題でした。
今考えると信じられないストイックさですが、毎日仕事終わりにヒトリカラオケに通い詰めて練習をしていました。
初めは、カラオケ独特の声の出し方もわからず、たった一人なのにどもりっぱなしで悲惨な状態でした。本当に、人前で歌わなくてよかったと心から思いました。
そして、歌う時に腹から声を出す感覚にたどりつくまで、かなりの時間を要しました。
初めに練習した曲はバンプオブチキンの「天体観測」だったと記憶しています。
なんとか、一か月ほど時間をかけて第3者的に見て、「普通にちょっとカラオケが苦手そうな人」のレベルまで到達することができました。
何が目的なのか考える。
「社内の付き合いを無難にやり過ごすこと」
「人前で恥をかかないようすること」
これらのことが目的だったので、
さらに歌う技術を高めるということは目指しませんでした。
そこに対して、投下しなければいけない時間コストは高く、
同じ時間であれば他にもっとやれると思うことがあったからです。
そして、社内の人間とカラオケに行くこと自体も、
よほどの状況でなければ行かないということは変わりません。
あくまで、行った際の防衛策であることを忘れて、
必要以上にムダに時間と精神を消費してしまうのは本意ではありません。
苦手と向き合ったことで得たこと。
良かったことも少しありました。
カラオケで、ヘタなりにも腹から思い切り声を出すことは、やはりスカッとします。
ストレスフルな日常の中で、カラオケに発散の場を求める人がいる気持ちもわかりました。
また、これまで音楽は聴く専門でしたが、カラオケという形で自らの声でアウトプットすることによって、歌詞でこれまで流してしまった一節に心が止まり、考えさせられる場面があったりしことは新しい発見です。
まとめ
苦手よりも得意を伸ばす。
これは最も優先順位の高いことだと思います。
しかし一方で、これまで避けていたこと、食わず嫌いをしていたことに、理由はどうあれ無理やりにでも飛び込んでいくことで、新しい視点や考え方が得られるということを知りました。
ただ、これはバランスだと思っていて、本気で苦手なことを得意にするためにコミットするのではなく、ほどほど程度の時間を割いて、苦手なことでも基本的な部分は押さえておく、苦手なことでもある程度経験することで得意なことに活かす。
といった、向き合い方が大切なのではないかと思いました。