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30代ビジネスマンの備忘録。 マネジメントやマーケティングに関するビジネススキルや、サウナ、ウィスキー、時計などの趣味について。

あがり症の僕が「人前で話す仕事」を経験して感じた3つのこと。

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あがり症の僕が「人前で話す仕事」を経験して感じた3つのこと。

 

ここ数日の間、僕にとっては珍しく、大勢の人前で話すという仕事が続いた。

 

もちろん、こんなご時世なので、ほとんどはリモートで、一部はリアルという感じだ。内容は、現在僕が携わっている事業の説明を社内外に向けて行うというもの。

 

僕はもともとあがり症で、大勢の人前で話すというのが、本当に苦手な人間なので、どうにか理由をつけて断りたかったのだが、つい最近のブログでも書いたように、自分の限界に挑戦しなければ、人生における成長はないというのを、自分自身で思い出し、仕事を受けることにした。

 

seiburo.hatenablog.com

 

結論から言うと、これらの仕事を引き受けてよかったと思っている。総勢数百人という人に向かって自分が話をすることで、面と向かってその人々の反応を見ることができた。そして、それによって自分の持っているアウトプット力の状態を正しく、認識することができたという点である。

 

つまり、簡単に言うと、僕の「話し方」の良いところと、良くないところの両方を認識することができ、それよって今後の改善点も見えたということだ。

 

その点について、今回の記事では具体的に掘り下げていきたいと思う。

 

良かったこと:「つまらずしゃべれるようになったこと」

 

なぜ、僕がこれまで人前で話すことに苦手意識を持っていたのか?

その理由は、人前に立った瞬間言葉に詰まってしまい、言いたいことも十分に言えなければ、伝えたいことも全く伝わらない。という苦い経験を結構な回数してきたからである。

 

それが「自分はあがり症だ」というコンプレックスのような自己認識につながり、自然と大勢の人前で話すことを避けてきたのかもしれない。

 

しかし、今回は自分でも驚くほど、よどみなく自然に言葉が出てくる。という経験をすることができた。

 

ただ、それは決して「たまたま」ではないと思っている。

 

これまでと今回で、圧倒的に変わったことがある。それは、準備段階における話す内容のインプットの仕方だ。

 

過去の僕というのは、人前で話す際に、その内容を舞台の演技台本のように、一語一句暗記するという方法を取っていた。当時は、とにかく言葉が詰まるのを恐れていて、そんな自分を救ってくれるのは、暗記だけだと強迫観念に駆られていた。

 

ただ、この手法というのは、完璧に暗記さえできていればいいのだが、一言でも言葉が抜けてしまうと、そこから雪崩のようにすべてが崩壊していくという脆弱性もはらんでいる。

 

そして、今回の僕は「暗記」を捨てた。言葉を暗記するのではなく、話の「論理構造」を頭に入れるという方法をとった。つまり、話の全体像を押さえておけば、多少どこかで単語を忘れてしまっても、いきなり話が崩壊へ向かうということを避けられるからだ。

 

「論理構造」とは、僕の解釈だと入れ子状のものだと理解している。

 

「主張⇒理由⇒具体例」このパターンが幾重にも重なって構成される箱のような状態をイメージして、話をつくることで、相手にも自分にもわかりやすい構造になると思っている。

 

この話の「論理構造」をつくることは、このブログがかなりいいトレーニングになっていると思う。日々、記事の構成を考え、文章を書くという習慣によって自然と鍛えられていたのだ。

 

悪かったこと:「話に論理性を求めすぎると長くなりがち」

 

「論理構造」をつくる上で、避けては通れないことがある。それは、多く場合、論理はたった一つの理由では成立しないということだ。いくつかの理由があって、ようやく一つの結論を導き出せる。

 

例えば、「ある会社の従業員の給料が安すぎる。その会社は、従業員の給料を上げるべきか?」

 

こんな問題があった場合に、「従業員の視点」というたった一つの視点だけで考えれば、当然「給料を上げるべき」という結論になるだろう。しかし、本当にそれは正しい答えと言えるだろうだろうか?

 

会社の利益のうち、給料水準を上げることで、新たな設備投資ができず、労働環境の悪化が発生したり、新規事業への投資ができなくなっったり、商品の値上げを行わざる得なかったり、結果的に会社が倒産へ向かう。

 

極端に言えば、そんなリスクシナリオも考えられる。

 

つまり、正しい答えとは「経営的な視点」や「消費者な視点」などさまざま視点から検討して決める必要があるということだ。

 

このケースで言えば、最終的には、事業に関わるステークホルダーそれぞれが納得感ある「落としどころ」を決めて決着するのだと思う。

 

それと同じで、話の主張や結論に至る論理構成を納得感ある形で伝えようとすると、関わってくる重要人物それぞれを取り上げる必要性があり、それによってどうしても話が長くなってしまうというジレンマが起こるのだ。

 

ただ、本当に話が上手い人は「美しい計算式」のように、シンプルかつ簡潔な論理から答えを導く。しかし、僕の場合は答えこそあっているのだが、その過程の計算式にまだまだ無理やムダがあるだと思う。

 

課題:感情やアドリブを入れること

前述した「話が長くなってしまう」問題だが、これは正確には「長く聞こえてしまう」というテクニックな部分に帰結するのではないかと思っている。

 

やはり、人というのは、いくら論理的に正しいことであっても、話に起伏や面白さがないと、どうしても冗長に感じてしまう部分があると思うからである。

 

この解決方法は、感情やアドリブを入れることが解決策だと思うが、これにはかなり卓越したスキルや経験が必要だと思っている。

 

特に、僕のようなもともと人前で話すことすらままならない人間にとっては…

 

しかし、大切なことは、上手い人がこれをどうやっているのかを見て盗むことだと思う。

 

この見て盗むという行為は、言葉で語る以上に難しいと思っていて、単に相手を見ているだけではなく、「どの場面でどういったリアクションをどういった意図をもっておこなっているのか?」ということまで考えて見ないといけないと思っている。

 

これからは、誰かの話を聞く際は、そんな意識を持ちながら臨みたいと思う。

まとめ

今回の経験で感じた大きなこととして、「人は変わることができる」ということだ。

それには、日々のブログ執筆の習慣が大きく貢献していることも、自分にとっては自信になった。

 

しかし、もうそのレベルでいいという訳ではなく、さらに高いレベルも目指していきたい。

その為には、さらに日々の仕事や生活において意識を集中すべきポイントをつくっていくということが大切なのだと思う。

 

ほんの些細な出来事でも、それを感じ取れるか?取れないか?というのは、大きな違いである。新しいことに挑戦したことで、自分の中に新たなアンテナがたったことは、非常に大きな収穫だと感じる。

 

今週のお題「試験の思い出」