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30代ビジネスマンの備忘録。 マネジメントやマーケティングに関するビジネススキルや、サウナ、ウィスキー、時計などの趣味について。

禁煙継続1年を迎えた自分の状態を振り返る。

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禁煙継続1年を迎えた自分の状態を振り返る。

 

「長くも短かった」

 

この1年の禁煙生活を一言にまとめるならばこんな感想になるだろう。

 

禁煙を始めた当初は、タバコを吸いたいという衝動を我慢するのが本当に辛く、1日が1週間のように…1週間が1か月のように…長く感じられた。

 

しかし、禁煙継続期間が延びるにつれて、「吸いたい欲」は徐々に衰えていき、次第に吸わないことが我慢でもなんでもなく、自然なものに変わっていった。

 

その心境の変化は、過去のブログでも言及している。

 

seiburo.hatenablog.com

 

seiburo.hatenablog.com

 

seiburo.hatenablog.com

 

そこからの時間の感じ方は非常に早かった。恐らく、ちょうど3か月くらい経ったころだろうと記憶している。

 

今振り返ると、この3か月というのが大きな山場であり、そこを乗り越えられたのは、やはり社会的要因によるものの後押しが大きかったと思う。

 

つまり、僕が禁煙をしていた期間というのは、喫煙者という存在が、社会においてマジョリティからマイノリティになっていく過渡期と重なっていたとも言い換えることができる。

 

禁煙を後押しした社会的要因

 

その社会的要因とは、主に2つだ。

 

1つ目は、コロナである。

 

コロナによる、密防止や飲食店への自粛要請というのは、必然的に僕の生活からタバコの誘惑を遠ざけた。

 

やはり、飲み会などで美味しそうにタバコなど吸われた日には、いくら鉄の意思を持って禁煙に臨んでいたとしても、とても我慢しきれなかっただろう。

 

2つ目は、オリンピックである。

 

オリンピックの開催に伴い、首都圏の環境は大きく変化し、それに伴い人の意識も大きく変化したと思う。

 

主要なターミナルの駅前はどこもかなりクリーンになり、喫煙所も相当撤去されたし、飲食店や喫茶店でも、喫煙可能な店舗は激減した。

 

そして、僕の勤める会社でも喫煙所は、かなり辺鄙な場所に移設されてしまった。

 

このような社会変化が、はからずも僕の禁煙の背中を押す要因となったことは間違いない。

 

禁煙1年を迎えて感じる3つの変化

このような背景を踏まえ、自分自身の身に起こった変化について3つのポイントに絞って触れてみたい。

 

思考の変化

僕で実感した変化の中で、最も大きかったのが思考の変化だ。

 

これまでは、物事を考える時には、タバコが欠かせないものだった。

物事を構造的に考えることや、経験や知識を結びつけてアイデアを生み出すような頭の使い方は、タバコを吸っている時、もしくは吸い終わった瞬間しか、うまくできなかった。

 

つまり、思考するのに多大な制約と条件が課せられていたと言っても過言ではない。

 

それが、禁煙後3か月目あたりから、まるでリミッターが外れたように、頭が回転するようになったのだ。この感覚は、補助輪なしではじめて自転車を漕ぐことができた時の感覚に似ているような気がした。

 

この変化は、仕事の効率やブログの執筆にも大きな好影響を及ぼした。

 

身体の変化

正直なところ大きな良い変化は感じていない。

 

  • 息切れがしにくくなる
  • 疲れにくくなる
  • 食事の味が美味しくなる

 

世間一般では、禁煙の効能としてこれらのことが挙げられるが、僕自身の中では、あまりそのあたりは実感できていないのだ。

 

むしろ、食欲はかなり旺盛になり、体重の増加に悩まされているというのが、目前の課題である。しかし、それも少しずつコントールできるようになってきてはいると思う。

 

なぜなら、禁煙当初は昼食と午後休憩でそれぞれ、アイスやグミ、チョコレートなどの甘いものを食べなければ、全く気持ちが落ち着かなかったが、徐々にそれらは減らすことができているからである。

 

貯蓄の変化

タバコを吸うのをやめたらその分お金が溜まる。

これも、禁煙の効能としてよく語られることだが、やはり世の中そこまでうまくはいかない。

 

やはり、僕は手元にお金が残ればその分、どうしても使いたくなってしまう性分らしい。

 

タバコを辞めて浮いたお金は、その分、腕時計の購入に回すという選択をした。

 

ただ、後悔はしていない。

 

自分に対して制約を与える為にお金を使うよりも、自分に自信と勇気を与えてくれる時計を購入する方が、圧倒的に価値のあることだと思うからだ。

 

詳しくは、以下の記事でも言及している通りである。

 

seiburo.hatenablog.com

 

まとめ

1年という期間、しっかりと禁煙ができた。

 

そこで、冷静に自分を振り返って感じることは、禁煙成功の達成感や喜びもある一方で、「社会に流される自分の凡庸さ」というものも再認識した。

 

やはり、自分は社会的な生き物で、社会が良しとすれば、それを良いものだと信じ、悪とすれば、悪いものだと信じてしまう。

 

タバコだって吸い始めた頃は、僕自身もそうだし社会全体としてもこんな認識が支配的だったのではないだろうか。

 

タバコとは…

・社会人としてのコミュニケーションツール

・ビジネスマンにとっての唯一の癒しの嗜好品

 

しかし、社会が変化する中で、タバコについては「社会から排除すべきもの」として、その位置づけもかなり変化してきた。

 

ただ、本当にそれが正しいかどうかは誰もわからない。

 

社会が規定するように本当に悪いものかもしれないし、もしくは良い部分もあるのもしれない。(少なくとも、僕がまたタバコを良いものだと思い、また吸い始めることはないのだろうが…)

 

ここで大切なのは、社会が規定することとは別に、自分のスタンスを持つということだ。

 

過去のタバコのように、明らかにデメリットが大きいにも関わらず、社会において歓迎される「嗜好品」として位置づけられているようなものは、少なくないと思う。

 

ただ社会全体の規定を鵜呑みにするのではなく、何事にも自分のスタンスを持つことが必要なことだと思う。

 

それが、僕が禁煙から得た最も大きな学びかもしれない。